第6回    
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ティファール  
 西野 智昭    

ダイエーの優勝セールで
ティファールの鍋が半額だって言うから
買っといてやろうと思ってたのに
展覧会の準備とかなんとか、いろいろあって
精神を整えるためとか
神経を集中させる
とかなんとか言いながら
ずっとソリティアやってたもんだから
セール期間なんて、あっという間に過ぎちゃって
いよいよ実作業に入らなくちゃと
ホームセンターに材料集めに行ったら
あるじゃん、ティファール
べつにダイエー優勝しなくたって
半額で売ってるじゃん
どんな安物の鍋だって
使えることは使えるんだよ
でも、うかうか使ってると
何十年も経っちゃうだろ
いや、高い鍋なんかはよ
テフロンだって分厚いんだろうし
熱が素早く均一に伝わるから
素材のビタミンを壊さずに
手早く調理することができますとか
それなりの理屈はあるんだと思うよ
だけどオレが買ってきたのは
一番グレードの低いセットだったし
「お料理の最適温度を知らせるマーク」
なんてのも付いてなかったし
ワンタッチで鍋が外せるんじゃなくて
ツータッチくらいで外せるものだったから
そもそも半額で買えるようなもんだからな
ティファールはティファールなんだけど
言ってみりゃ
ただの「ティファール」だからな
まあ、ありゃーあったで越したことはなし

 

これは把手の取り外しがきくから
鍋を重ねてしまえばスペースの無駄がなく
コンパクトに仕舞えるんだとか
通販みてーなこと言っちゃてよ
テレビで見たことある、なんて言われれば
ふーん、なんてとぼけながら
もったいながって今までのを取っておくと
どんどん台所が狭くなっちゃうから
どんどん捨てちゃえって
それなりに使えたけど、安くてカッコ悪かった鍋を
慎太郎印のゴミ袋にどんどん入れてよ
まあ、そんなに高いもんじゃなし
「プレゼント」なんてカッコつけたんでもないけど
誕生日が近かったから
勘違いしたって不思議じゃないわけだ
台所用品のプレゼントなんて
子供が母の日にやるんならともかく
大人のプレゼントにしちゃセコいくらいなんだけど
これがまた
「アタシのことをちゃんと見てるんだ」
なんて思われてるんだとしたら
あえて否定するのも野暮だろ
いや、否定すればよかったんだけど
否定したら、したで
「アタシに気遣いさせないために、そんなこと言っちゃって」
なんて思うんだよ、専業主婦は、たぶん
だから、オレは何も買ってこなかったみたいにしてたんだけど
やっぱり新しい鍋なんか使ってると
新しい料理、作りたくなっちゃうんだよな
もともと料理の得意な女じゃなし
いや、それだけに新しいレパートリーには
人一倍手間が掛かるんだ
どうせ手間を掛けたものだったら
それなりにじっくり賞味してもらいたい
てゆーのはオレだって展覧会やってるんだから
その気持ちはよくわかる
ウマイマズイなんか基本的に関係ねーもんな
「心をいただく」ってな
「心のやりとり」ってゆーか
よーくわかるからね
だから、こっちとしては
こちら側の事情としては
会期中はなるべくギャラリーに詰めてようって
オレなりの良心に従って
夕方前には家を出て行くわけさ
だけど、そうなると
晩飯作ってる横を通ってかなきゃならない
だからオレはなるべく
行きたくねーよーな声で
「行ってくるわ(しょうがねーから)」
って言うんだけど
言葉ってこんな時
ぜんぜん役に立たねーのな
「心」とか「誠意」ってのを表そうと思ったら
「行く」か「行かねー」かの
二種類しかねーのよ、専業主婦には、たぶん
展覧会終わってから
ティファール買ってくればよかったんだけど
展覧会の準備のために
ティファール見つけちゃったんだから
しょうがねーし
嫁さんの誕生日に
ホームセンターでプレゼントなんか買わねーだろ
フツーに生活雑貨を買ったまでだよ、オレは
こんな行き違いなんかは
よくあることだろ、仕事だって家庭内だって
そこらへんは、お互いに大人なんだから
お互いの事情を慮りつつ、お互いを尊重するのさ
と言っても、お互い深い絆で結ばれたってわけじゃなし
いや、絆ってのは
だんだん深まるものであって、まだまだ浅いし
かと言って他人同士みたく
適切な距離ってのがあるわけじゃないから
こんな未熟な夫婦にとって相手を尊重するってことは
相手に尊重を強いるってことになるんだよ、お互いに
ようするに、我慢させるってことなんだな
だけど
「アタシは今、アンタに対して我慢してますよ、してるんですよ」
ってサインを素直に出せるほど、仲が良かったら問題ないんだけど
もう怒っちゃてるから
「怒っているけど、怒っているそぶりさえ見せたくありません、オマエには」
ってサインがありありと伝わってくんのよ
だから、夕べの残り物を昼飯の時に出されるだろ
ティファールの鍋で温め直したやつ
その鍋のままドスンとお膳に出されるんだ
ティファールの把手外しちゃってさ
オレだって悪気があってやってることじゃなくて
むしろ展覧会にも家庭にも
ベストを尽くした結果なんだし
「こうした善意を逆手に取られては甚だ迷惑である」
と多少激しい言葉で表現したんだよ
すると
「オマエの買ってきたものを極力利用しているだけです」
と多少激しい言葉で返してくるんだ
だから、鍋と皿の、機能の違いとか
日本人が器に寄せてきた深い慈しみを茶の湯から
いちいち説明するさ
すると
「『家庭』とはなにか」
とくるさ
「それは幸福の受け皿である」
と即答だよ、決まり文句だろ
すると
「ここが『幸福の受け皿』なのか」
とお膳を叩くから
「『幸福』とは結果を表す言葉だから、その過程はしばしば『非幸福』である」
と説明するさ
すると
「フコー」がどうたらって聞き間違ってるから
「オレたちは、たかが半額セールの鍋セットをめぐって、
いささか感情的になっているに過ぎないのだ」
こう言えば笑うだろ
これが笑わない
だから
「我々が目指す『幸福』とは、
ティファールの鍋セットなんかで具現化されるような安直なものではなく、
しかるべき年月を経てみなくては得られない高度な『幸福』であるはずである」
ここまで言えば笑うだろ
これが笑わない
そして真顔で
「展覧会とはそんなに儲けられるものなのか」
と話を逸らすから、とっさに
「いや、むしろ金を払ってやるのがフツーなのだ」
と反応しちゃうさ、しちゃったさ
すると
「いくらなのか」
と訊いてくるから
「我々は鍋について話し合っていたはずだし、今、わたくしはとても空腹で、
そのティファール鍋にあるシチュー状のものをぜひ味わってみたいと思っているのだ」
と答えれば
「いくらなのか」
と畳み込んでくるから
「わたくしの買ってきた鍋であなた様が作った手料理を食べようと言うのだから、
これ以上の家庭的な幸福があるだろうか」
と諭せば
「いくらなのか」
とご下問するのさ

 

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